キングスロード 前編

日曜日。ラジオの天気予報は記録的な猛暑になると伝えている。熱中症に気をつけましょう。水をこまめに飲みましょう。

身ひとつでここに越して来てから、なるべく物を持たない身軽な生活を営むことを心がけて来た。だからここにテレビはない。情報は主にラジオのニュースででつかんでいる。そもそも世の中で何が起こっているか、それほど興味があるわけでもない。冷蔵庫は部屋に小さいのが最初からついていた。ビールを冷やすためだけにしか使わないが、重要なポイントではある。エアコンもあるけれど、使うことはほとんどない。洗濯機もない。近所のコインランドリーを使っている。

そうだ、洗濯しよう。他の日曜と同様、今日も僕には何の予定もない。使い古した大きなトートバッグに、たまった洗濯物を詰め込んで、ビーチサンダルを引っかけ、ドアを開ける。目を刺すような強い日差しが入り込んで来る。あ、サングラスを忘れた。そして、鍵や財布も持っていないことに気づく。一度部屋に上がって、冷蔵庫を開け、よく冷えた缶ビールを取り出して、プルタブを引く。

午前中だと言うのに、気温はとっくに30度を超えている。通りに人の姿はない。猫すらいない。錆び付いて動かなくなった自転車。ひん曲がったカーブミラー。ドーナツショップが閉店したあと誰も借り手がいなくて放ったらかしになっている貸店舗。アスファルトの割れ目から生えた不気味な植物。過疎が進んで住人がいなくなった廃墟の島にいるみたいだ。

キングスロードにも車は走っていない。歩道を歩いている人もいない。

キングスロードは僕の家から徒歩5分ぐらいの所にある片側2車線の大通りで、街の中心をちょうど南と北に分断する形で東西にまっすぐ走っている。キングスロードと言うからには、末に王宮が構えていたのだろうか。王と宮殿について、いくつかのおとぎ話を聞いたことがあったが、真意の程は定かではなかった。

この大通りが街の住人のライフラインの中心に存在していた。商店、食堂、役場、銀行などが点在していて、大きな河に水を汲みに行くが如く、南北の住民がキングスロードを利用していた。僕の居住区では、生活に必要ないくつかの店(コインランドリーもそのうちのひとつだ)が、すべて南側にあるために、北側の住人である僕は一日に何度となくこの通りを横断しなくてはならなかった。

100メートルぐらい先に信号機つきの横断歩道があるが、ズルをして最短距離で道路を渡ることにした。毎度のことだ。中央分離帯に差しかかった時、どこかに隠れていたかのように突然、右から大型トレーラーがやって来て、猛スピードで目の前を通りすぎて行った。巻き上げられた土埃がしばらく空中を舞っている。僕はトレーラーが見えなくなるまでそこに立っている。咳払い。手入れの行き届いていない緑、車から投げ捨てられたゴミ。ジムモリソン。地平線までまっすぐに続いていそうな道路。飲み干したビールの缶を放り投げ、右足でリフティングを試みる。2回。地面に落ちた缶をくしゃりと踏みつぶす。

通りを渡り、コインランドリーに向けて歩きだす。容赦なく降り注ぐ灼熱の太陽光線が背中に痛い。家を出てまだ10分もすぎてないと言うのに、体中から汗が噴き出している。いくらなんでも暑すぎる。ランドリーまで約500メートル。遠い。飛行機に乗って国境越えするより遠く感じる。チャーリーの店でビールを補給していくか。

チャーリーの店はカウンター10席程度の小さな飲食店で、昼間は食堂、夜は酒場、地元の独身男達のたまり場になっている。以前あったファミリーレストランの駐車場の管理人部屋を改造して店にした。当初は隠れ家的な店として若者やカップルたちが通う洒落た店だったらしいが、その後ファミレスが閉店し、建物が撤去され、だだっ広い駐車場の中にぽつんと小さい店鋪だけが取り残され、いつしか野郎どもしか顔を出さない場末の酒場みたいな店になった。

まるで世界の終わりみたいに寂れて見窄らしいこの街だったが、以前には羽振りのよい時期があったらしい。開拓者が石油を掘り当てて一発当てたとか、東西の中心にあって宿場町として栄えたとか、基地があって何千もの兵隊が住んでいたとか、いろいろな話を聞かされたが、真意の程は定かではない。少なくとも僕が辿り着いた時には、この街はすでに終わっていた。

街が潤っていた形跡は残っている。キングスロードを30分も西に歩けば、派手な電飾を付けた看板がひしめき合う繁華街に出る。酒を飲ませる店があり、賭博をさせる店があり、いかがわしい店があり、怪しい店がある。そこで働く女たちが稼いだ金をつぎこむためのジュエリーや服を売る店もある。連れ込み宿もある。もちろん、それらの店が繁盛していたのはずっと前の話で、今は看板に火が灯る店は一軒もない。夜になると邪悪な奴らが姿を現すらしく、暗くなってからそのエリアに足を踏み入れるべきではないと教えられた。

チャーリーの店のオーナー(たぶんチャーリーという名前なのだろう)は白人でインテリと言う噂だったが、本人が店にいるのを見たことは一度もなかった。雇われのメキシコ風の男が店をひとりできりもりしていて、客らは男のことを「ドンキー」と呼んでいた。マヌケなあだ名通り、何となく頭の鈍いところがあったが、料理の腕前はなかなかのものだった。僕もドンキーにはずいぶん世話になっていて、朝食か昼食のどちらかは彼の作ったサンドイッチだったし、夜もしょっちゅう顔を出して、ここでビールを飲みながら時間を過ごすのが日常だった。

スイングドアをゆらして店内に入ると、むっとした空気が体にまとわりついてきた。外よりも暑い。まるでサウナだ。ドンキーが手にスパナやらスクリュードライバーやらを持ち、額から汗を流しながら、呆然とした表情でカウンターの中に立ち尽くしていた。

「エアコンが壊れちまったんでさ、ダンナ。」

まじか。

「せめて窓を開けなよ。これじゃ窒息死しちゃうぜ。」

僕はバッグを椅子に下ろし、サングラスを外して、店の窓をかたっぱしから開けて回る。暗い店内に光が差し込み、外と中の空気が入れ替わる。どちらも暑いがさっきよりはずっとましだ。

店に他の客はいない。

「ビールをおくれ。瓶でいい。まさか冷蔵庫まで壊れてるわけじゃないよね?」

ドンキーは工具をカウンターの上に置いて、タオルで汗を拭き、シンクで手を洗い、冷蔵庫からメキシコビールを取り出して栓を抜き、コースターを敷いて僕の前に置いた。瓶が真っ白に霜で覆われている。僕は三口でビールを飲み干す。文句なしにうまい。ポケットから財布を出して代金をカウンターに置く。ごちそうさま。

「もう行っちゃうんですかい?」

「ああ、洗濯をしないとね。何もかもが汗だらけで着るものがないんだ。」

「ダンナは機械に詳しくなかったですかね?アタシじゃもうお手上げなんだ。」

どれどれ。

正直なところ機械には強い方ではない。でもドンキーよりはマシかも知れない。カウンターに入ってエアコンの内部をのぞいてみる。狭い。不自然な姿勢。汗がしたたり落ちる。どこにも不具合はないように見える。駄目だ。僕には何もわからない。悪いねドンキー。僕も役立たずだ。

ふと、足元に封筒が落ちているのを見つける。青と赤の点線で縁取られたエアメール用の封筒だ。糊でしっかりと封がされている。差出人の名前はない。ひっくり返してみて少し驚く。どういうことか、僕の名前が宛名になっている。万年筆で書かれたものだろう。きれいな筆記体だ。見覚えのある筆跡ではない。切手は貼られていない。

「ドンキー、これは何だい?誰か僕を尋ねて来た人でもいたのかな?」

コメントを残す